私にとっての3.11

ども。

今日は、あれですね、あれ。
でも、私にとっては、別の意味がある日です。



数年前、私は母をガンで亡くしました。
今年の5月でまる4年になります。

今でも忘れられません。



あの日は、私はまだ最初の会社に休職という形でしがみついてた頃でした。
でも、母がいよいよダメだから、最後の家族旅行に行こうって。
それが3月11日だったんです。

私は東京、次女は高知、三女は茨木、四女は奈良。

当時はみんなバラバラに住んでいました。
それが、家族旅行のために、実家のある福岡にいたんです。

旅館で、女5人でお風呂入ったり、みんなでUNOしたり、トランプしたり。
母は抗がん剤で免疫が下がっていたので、生ものが食べられなくて。
旅館の食事に出てきたお刺身が食べられなくて。
それを、いつもはハイ!ハイ!って、三歩下がって敬語で話すような、そんな父に、
「はい、お父さん、これ食べて」
って、父の返事を聞きもせずお皿差し出して。
「あたし、これもらう」
って、父の別のお皿からおかず奪取して。
それに対して、父も何も言わず、黙々と二人分のお刺身食べて。

何だ、本来二人はこんな感じなんだって、びっくりして、ほっとして。

テレビではずっと震災のニュースが流れてたけど、
わたしたちの部屋に流れてたのは、笑い声だけで。


もし、私が東京にいたら、
寮で知り合いも友達も近くにいない状態で、今より不安定な精神状態を抱えて、被災してた。

それが、母のおかげで、あたたかい時間を過ごすことができた。

今でも、あの時私を守ってくれたのは、母だと信じています。
母が安全な福岡に呼んでくれたのだと。

会社を辞め、住むところを転々とし、状況は変わっているけど、
まだ母の死を受け入れきれていません。

ガンと宣告され、約2年の闘病生活があって、
いずれ、長くない先に母との別れが来るのだと、少しずつ心の準備をしていたにもかかわらず。

それが、ある日突然、肉親や家族を奪われた被災者の方々のことを思うと、
胸が締め付けられます。

母が他界してから、いろんなことがありました。
大好きだった女子バレーボールが、オリンピックでメダルをとったり、
大好きだったASKAさんが、やっちゃいけないことやったり。

母が知らないことが、毎日毎日ひとつひとつ増えていきます。

母だったら何て言うだろう?って、何かあるたびに思います。




いつになったら、涙を流さずに3.11のニュースを見れるようになるかな?




そんなことを思う、私の3.11です。









コメント

ひなた さんのコメント…
時間の流れってその人の置かれた立場で違うんだなぁと
感じたことがあったよ。

息子の友人が亡くなって一年
私が「もう一年経ったのかぁ」と言うと
息子が「俺にとっては『まだ一年しか経ってないの?』って感じる」って。
よく遊びに行っていたから
「ずっと会ってなくて、数年経ったような気分だ」って言ってた。

きっと、その悲しみを味わった人でなければ
分からない感情なんだね。

本当にもー!バチ当りなオジジ様の命を誰かに分けてあげたいよ!
yuna さんの投稿…
☆ひなたさん
いくら罰当たりでも、命、分けちゃダメwww

私はもう4年派かな~…。

いずれにせよ、
時間が解決してくれるんでしょうなぁ~…

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