眠れぬ夜のくだらない話
そう、あれは忘れもしない中三の夜。
市内のアパートから実家に引っ越してきて初めて迎える夏だった。
実家に引っ越すまで編み戸不要の生活をしていたので、
どのタイミングで編み戸というものを使えばいいのかわからなかった。
ある日のこと、
自室の窓を開け、一階で夕食を食べ、自室に戻った時。
そこには夥しい数の虫が…
そう、編み戸をしていなかったのだ。
正体不明の羽虫、見たこともない大きさの蛾、何故か百足まで乱入。
ちょっとした図鑑には勝てそうな勢いだった。
ぎゃー!と悲鳴をあげる私の元に駆け付ける両親。
同じく田舎住い未経験の母は茫然。
それとは対称的に父から飛んできたのは怒鳴り声だった。
父:「編み戸はしとらんかったんか!!」
私:「だって編み戸使ったことないもん!!こんなんなるとか、知らんもん!」
返す言葉に窮する父。
とにかく、殺虫剤を持ってきて、部屋中に振り撒く。
電気のシーリングに入ってしまった百足にも殺虫剤。
部屋はあっという間に煙たくなった。
窓を閉め、ドアを閉め、アースノーマットも焚いて、待つこと数10分。
恐る恐るドアを開けてみると、そこにはまたまた見たことない光景があるのだった。
虫が死んでいる。
いや、それはいい。
問題は死んでいる場所だ。
床、机、本棚、かばんや制服、ベッドの上。
ベッドの上、つまり、ふとんの上、それに枕の上!
私は言葉を失った。
それに追い撃ちをかけるように母が言った。
母「あ〜…百足には効かんかったねえ…」
私は直ぐさま天井を見上げた。
シーリングの中でうごめく物体は、数10分前と変わらず生き生きとしていた。
憮然とした父が様子を見に来た。
茫然としている私と掃除機で死骸を吸い込む母を一瞥して寝室に入って行った。
悪夢はこれで終わらなかった。
私は母から究極の選択を迫られるのである。
母:「ど〜する〜?ここで百足と寝る?それともお座敷で寝る?」
お座敷?!
つまり仏間である。
以前住んでいたアパートには仏壇はなく、
実家も祖父が一代目の家だったので、そのとき祖父が他界して4年経っていたが、
私の仏壇経験はその4年のみ。
しかも、お盆とお正月のみんなが会食するときに傍らにあるもの、という程度のものだった。
当時、幽霊やらお化けなどを頭から信じていた私にとって、
仏壇と寝るなんてことは、幽霊と寝るに等しいものがあった。
百足と寝るか、幽霊と寝るか。
今考えると何とも滑稽な選択であるが、
とにかく当時の私にとっては未経験に未経験が重なり、
更に未知の体験をせよ、という苛酷な選択なのだった。
しばらく考えた後、私は百足と寝ることを選択した。
百足はシーリングの中にいて、当分出てくる様子ではない。
しかし、幽霊は何するかわかったものではない。
百足と寝ても死なないが、幽霊は、わからない。
それが私の結論だった。
私は編み戸が閉まっていることを確認し、シーリングの中の百足をうらめしそうに見上げ、ベッドに横になった。
これはこれで、もし百足が出てきたらと思うと生きた心地がしない。
電気を消して、常夜灯にしても百足はシーリングから逃げ出そうと動き回っていた。
その影が黒く異様に浮き出ているようだった。
こうなると、まるで江戸川乱歩の世界である。
私はじっと冷や汗が滲み出るのを感じていた。
とは言え、中三の子供のことである。
詳しくは覚えていないが、気がつくと朝だった。
私は慌ててシーリングを見上げた。
百足はまだ動いていた。夕べと変わらぬ元気さで…
学校から帰ってきても、まだ百足は生きていた。
私は薄々、ある思いに到達しようとしていた。
私:「一晩中同じところをうろうろして、全くその行動パターンが変わらないとはどういうことだ?
もしかして百足は…バカなのか?」
そう思った瞬間、肩の力が抜けるのを感じた。
何の根拠もないが、百足はシーリングから出られない。
そう私は結論づけた。
それから百足と一緒の生活が始まった。
見上げれば、シーリングの中で百足がカサカサと動いている。
観察する余裕すら出てきた。
よく見ていると、シーリングはちょうど蟻地獄のような形になっていて、
例え1番上まで到達しても、鼠返しのように裏返ったシーリングの縁で、またシーリングの底に落ちるのだった。
シーリングを外して逃がしてやろうかという気にならなかったのか?
と問われそうなので、先に言っておくが、そんな考えは一切浮かばなかった。
いかにして百足と物理的距離を確保するか、それが課題であった。
逃がす行為の中で、例え一時的に接近することがあって、
しかし、その行為は一時的で何時間も生活を共にすることがなくなろうとしても、だ。
百足との生活は2〜3日続いた。
母も何も言わなかったし、言わんや、父などはとっくの昔に殺虫剤騒ぎを忘れているようだった。
記憶は定かでないが、おそらく三日目、学校から帰宅したときか、四日目の帰宅時である。
百足が動かなくなっていた。ついに苦労虚しく息絶えたのである。
私:「おかあさ~ん、百足死んだ~」
母:「あら~、ずいぶん元気やったね~」
私:「おかあさん、取って~」
母:「えぇ~、はいはい」
母はゆっくりとシーリングを取り外した。
中を覗くと、15センチ近い黒光りした百足が死んでいた。
母:「こりゃ立派やったね~」
私:「こんなの初めて見た」
母:「そうやね~」
シーリングをそのまま一階に持っていき、庭の植え込みのあたりにぽいっと捨てた。
全く簡単なことであった。
こうして私と百足との生活は終わった。
別に寂しくも悲しくもなかった。
かと言って、肩の荷が下りたとか、そんな大層な思いもしなかった。
ただ、単純に終わった、と。それだけだった。
これでようやく網戸騒ぎの終着点を迎えた。
まさか網戸一枚でこんな騒ぎになるとは…。
私の田舎暮らし嫌いはここから始まった。
終わりw
市内のアパートから実家に引っ越してきて初めて迎える夏だった。
実家に引っ越すまで編み戸不要の生活をしていたので、
どのタイミングで編み戸というものを使えばいいのかわからなかった。
ある日のこと、
自室の窓を開け、一階で夕食を食べ、自室に戻った時。
そこには夥しい数の虫が…
そう、編み戸をしていなかったのだ。
正体不明の羽虫、見たこともない大きさの蛾、何故か百足まで乱入。
ちょっとした図鑑には勝てそうな勢いだった。
ぎゃー!と悲鳴をあげる私の元に駆け付ける両親。
同じく田舎住い未経験の母は茫然。
それとは対称的に父から飛んできたのは怒鳴り声だった。
父:「編み戸はしとらんかったんか!!」
私:「だって編み戸使ったことないもん!!こんなんなるとか、知らんもん!」
返す言葉に窮する父。
とにかく、殺虫剤を持ってきて、部屋中に振り撒く。
電気のシーリングに入ってしまった百足にも殺虫剤。
部屋はあっという間に煙たくなった。
窓を閉め、ドアを閉め、アースノーマットも焚いて、待つこと数10分。
恐る恐るドアを開けてみると、そこにはまたまた見たことない光景があるのだった。
虫が死んでいる。
いや、それはいい。
問題は死んでいる場所だ。
床、机、本棚、かばんや制服、ベッドの上。
ベッドの上、つまり、ふとんの上、それに枕の上!
私は言葉を失った。
それに追い撃ちをかけるように母が言った。
母「あ〜…百足には効かんかったねえ…」
私は直ぐさま天井を見上げた。
シーリングの中でうごめく物体は、数10分前と変わらず生き生きとしていた。
憮然とした父が様子を見に来た。
茫然としている私と掃除機で死骸を吸い込む母を一瞥して寝室に入って行った。
悪夢はこれで終わらなかった。
私は母から究極の選択を迫られるのである。
母:「ど〜する〜?ここで百足と寝る?それともお座敷で寝る?」
お座敷?!
つまり仏間である。
以前住んでいたアパートには仏壇はなく、
実家も祖父が一代目の家だったので、そのとき祖父が他界して4年経っていたが、
私の仏壇経験はその4年のみ。
しかも、お盆とお正月のみんなが会食するときに傍らにあるもの、という程度のものだった。
当時、幽霊やらお化けなどを頭から信じていた私にとって、
仏壇と寝るなんてことは、幽霊と寝るに等しいものがあった。
百足と寝るか、幽霊と寝るか。
今考えると何とも滑稽な選択であるが、
とにかく当時の私にとっては未経験に未経験が重なり、
更に未知の体験をせよ、という苛酷な選択なのだった。
しばらく考えた後、私は百足と寝ることを選択した。
百足はシーリングの中にいて、当分出てくる様子ではない。
しかし、幽霊は何するかわかったものではない。
百足と寝ても死なないが、幽霊は、わからない。
それが私の結論だった。
私は編み戸が閉まっていることを確認し、シーリングの中の百足をうらめしそうに見上げ、ベッドに横になった。
これはこれで、もし百足が出てきたらと思うと生きた心地がしない。
電気を消して、常夜灯にしても百足はシーリングから逃げ出そうと動き回っていた。
その影が黒く異様に浮き出ているようだった。
こうなると、まるで江戸川乱歩の世界である。
私はじっと冷や汗が滲み出るのを感じていた。
とは言え、中三の子供のことである。
詳しくは覚えていないが、気がつくと朝だった。
私は慌ててシーリングを見上げた。
百足はまだ動いていた。夕べと変わらぬ元気さで…
学校から帰ってきても、まだ百足は生きていた。
私は薄々、ある思いに到達しようとしていた。
私:「一晩中同じところをうろうろして、全くその行動パターンが変わらないとはどういうことだ?
もしかして百足は…バカなのか?」
そう思った瞬間、肩の力が抜けるのを感じた。
何の根拠もないが、百足はシーリングから出られない。
そう私は結論づけた。
それから百足と一緒の生活が始まった。
見上げれば、シーリングの中で百足がカサカサと動いている。
観察する余裕すら出てきた。
よく見ていると、シーリングはちょうど蟻地獄のような形になっていて、
例え1番上まで到達しても、鼠返しのように裏返ったシーリングの縁で、またシーリングの底に落ちるのだった。
シーリングを外して逃がしてやろうかという気にならなかったのか?
と問われそうなので、先に言っておくが、そんな考えは一切浮かばなかった。
いかにして百足と物理的距離を確保するか、それが課題であった。
逃がす行為の中で、例え一時的に接近することがあって、
しかし、その行為は一時的で何時間も生活を共にすることがなくなろうとしても、だ。
百足との生活は2〜3日続いた。
母も何も言わなかったし、言わんや、父などはとっくの昔に殺虫剤騒ぎを忘れているようだった。
記憶は定かでないが、おそらく三日目、学校から帰宅したときか、四日目の帰宅時である。
百足が動かなくなっていた。ついに苦労虚しく息絶えたのである。
私:「おかあさ~ん、百足死んだ~」
母:「あら~、ずいぶん元気やったね~」
私:「おかあさん、取って~」
母:「えぇ~、はいはい」
母はゆっくりとシーリングを取り外した。
中を覗くと、15センチ近い黒光りした百足が死んでいた。
母:「こりゃ立派やったね~」
私:「こんなの初めて見た」
母:「そうやね~」
シーリングをそのまま一階に持っていき、庭の植え込みのあたりにぽいっと捨てた。
全く簡単なことであった。
こうして私と百足との生活は終わった。
別に寂しくも悲しくもなかった。
かと言って、肩の荷が下りたとか、そんな大層な思いもしなかった。
ただ、単純に終わった、と。それだけだった。
これでようやく網戸騒ぎの終着点を迎えた。
まさか網戸一枚でこんな騒ぎになるとは…。
私の田舎暮らし嫌いはここから始まった。
終わりw
コメント
で、百足を選んだのか!
むかーし、息子と住んでいた家は
田んぼの真ん前で…。田植えが始まると
カエルがゲコゲゴ鳴いてました~。
夏になると灯りを求めて網戸いっぱいに
羽虫がびっしりと…www
しかし、もっと嫌だったのは畳の縁から
ナメクジが出てくる事だったなぁ…。
朝、踏んだりしてねぇ。
懐かしい記憶だわぁ。
そう、むかで。
というか、百足が噛むとか刺すとか、
毒持ってるとか知らなかったんじゃないかな~?
幽霊は、ほら、胸の上に座って首絞めるじゃないですかw
あれはイヤwww
てか、ナメクジは勘弁いただきたいです!!ひー!
究極の選択
あたしなら仏間で寝ます
ムカデや色々な虫がいるより仏間のほうがいいですね
虫は気持ち悪い(爆)
そういえば限定正社員という制度ができるらしいですね
転勤なし、残業なし
であれば、仕事のあとは資格を取るため勉強してもいいし、
有効に使えそうですね
私もムカデには相当苦労しましたよ。
布団に寝てたら顔の上をはってたりしてこの時期は怖かったです。
布団に入る前は懐中電灯で壁とか天井とか確認して寝てました。
職業訓練所にも小さいのが時々出没します。^^;
私も今なら仏間で寝ますw
百足はイヤですwww
限定正社員、反対意見も多いようですが、
私みたいなひとも働きやすくなるし、
子供持った女性も働きやすくなるだろうし、
いい制度だと思います。うん。
え~!顔の上~!ひぃぃぃぃ!(lll゚Д゚)ヒイィィィ!!
今、リアルに鳥肌立ちましたよw
それは嫌だ。絶対、嫌。