時には昔の話を
…って歌ありましたよね。 加藤登紀子さんの。 宮崎駿の『紅の豚』で出てきた。 ジーナさん、超ステキ…(*´∀`*)ノ。+゜*。 今日はたまにはそんな話を。 私が精神科に通い始めたのは、大学4年の時から。 過呼吸が出るようになって、生活に支障が出てきたので。 診断名はパニック障害だった。 そっから3年かけて修士課程を修了することになるのだが、 それは今から考えたら辛く辛く、辛いものだった。 そのうち、過呼吸にとどまらず、パタリと倒れるようになった。 家から出ることができなくなった。ただ、バイトだけはいった。 ひとり暮らしをしていたマンションの部屋から出ると、 訳もなくものすごい恐怖に襲われて、泣き叫んだ。 そのときの彼氏さんが一生懸命付き合ってくれた。 外に出られないから、買い物してきたり、一緒に病院に言ってくれたり。 結局、フラレたんだけどw 診断名は解離性障害だった。 それでも、仕事はしなくちゃいけないって思ってて。 早く独り立ちしなくちゃって。 妹3人いてね。いつまでも甘えてられないってのもあって。 ODしてリスカして。 救急車で運ばれたことも度々。 結局、マンション追い出された。 倒れながら過呼吸になりながら泣き叫びながら、就活して、 第一志望の会社に入ることができた。 治ってないのに、上京し、営業に配属され、半年は気合で乗り切ったけど、 半年経って、耐え切れず再発し、2年間休職した。 東京都の障害者職業センターのリワークプログラムに3ヶ月通って、復職。 復職後は内勤に異動してもらって、1年近くは何とかがんばれた。 そこで会計や財務の仕事をして、面白いなって思って、 今、簿記を勉強することにつながった。 1年近く経ったけど、結局再発して、退職せざるを得なくなった。 診断名は全般性不安障害だった。 実は、休職したとき、トラぶった上司がいて。 きっと上司本人は覚えてないだろうけど。 退職につながるきっかけは簡単だった。 席替えだった。 後期になったとき、席替えがあって、隣の島にその上司が来て。 毎日毎日、あの嫌いなチャラい、デリカシーのない声が毎日聞こえてきた。 10月に席替えがあって、その翌々月12月には耐え切れなくなった。 社内の産業...